1990年〜2000年(第118〜147回国会)
1990年2月、46歳で初当選して以来、10年が経過しました。1期目は宮澤内閣の野党として政治改革法野党案の提案者となり、あるいは佐川急便事件で金丸前副総裁にからむ「告発はがき」を考案し、金丸氏逮捕への引き金になるなど、戦う弁護士兼代議士としての足場を築きました。
2期目は一転して細川護熙連立内閣の与党、さらには「自社さ政権」与党の一員として活動しました。しかし、村山総理指名の第1回目投票で白票を投じるなど、自民党と当時の社会党の連立には批判的だったため、自社さ内閣では政権の中心に加わりませんでした。
橋本総理に代わると住専処理などの問題に通じ、与党の立場では自民党や官僚に対する批判が思うようにできない矛盾を感じ、心は新党の結成へと向かいました。そして、解散直前に、菅直人さん、鳩山由紀夫さんらと民主党を結成、小選挙区比例代表並立制になった3期目の選挙に臨みました。
3期目ははっきりと野党の立場になりました。しかし、かつての55年体制と異なり、政策に対し責任を持つという点で、細川さんの活動の幅はより広がりました。
一方、新進党の解体から新民主党結成という再編のなか、99年からは党本部の経理局長として、党の金庫番になるなど、細川さんに対する信頼は高まり、着実に責任ある立場へと進化しています。
特に、交通・運輸の関係では党の政策決定では中心的な役割を果たし、昨年秋から環境委員長として運輸委員会を離れても、その力量は高く評価されています。乗合バス・タクシーの規制緩和法案の審議にあたっても、附帯決議で規制緩和による混乱に歯止めをかけるなどの役割を演じています。